2014年11月18日火曜日

裁判制度の簡素化の必要性

残念なことに、多くの日本の裁判は、ほとんど誰も見ていない中で弁護士と裁判官の手でパッパと済まされます。法廷は公開されているなどと言っても、形式的な公開であって、あれで裁判の透明性が確保されていて分かりやすいと思っている人は、まずいないでしょう。

確かにこれは効率的で、司法エリートにとっては都合の良いシステムでもあります。ちょうど、国民の目の届かないところで仕事をしている官僚に似ています。そのため、裁判というのはそういうものだとして、重大事件であっても国民に十分な説明はなされません。

これは、一部の専門家だけに任せきりにしてきたからでもあります。先に「日本の法律は事業者寄りである」と述べました。ところが、アメリカでは陪審制などを通じて法律の運用をじかに見ていますから、専門家たちも下手なことはできないようになっています。

観念としての権利だけでなく、現実の手続も含めて、しっかりと国民がチェックできますし、実際にチェックしています。こうしたことから、法制度の全体的なシステムや手続も事業者べったりになったりはしないわけです。

つまり、一般の人が裁判所に入ってくることによって、法律の実際の運用のされ方が分かるようになり、人々の問題意識は格段に高まるのです。それこそ、「確定申告を個人にやらせた方が税金に対する意識が高まる」などというのとは比較にならないほど、その効果は大きいのではないかと思います。