2015年12月17日木曜日

トラブル発生後の処方箋とは

例えば、私が業のコンプライアンス(法令遵守)を推進する必要かおるという話をするにしても、たまに「結構な話ですね」というふうに聞いてくれる人はいるのですが、なかなか現実の問題としては動いてくれません。

これが欧米になりますと、しっかりとしたコンプライアンスをしなければ企業が大変な目にあい、下手をすれば倒産してしまうという危機感をもって取り組んでいます。

日本では、法令遵守を怠っていても、問題が起きてからしばらく我慢していれば何とかなるわけで、薬害エイズなどのような深刻な事件を起こしても、別にどの会社もっぶれたわけではなく、また誰か役員が責任を取らされてしまったが故に破産したという話もほとんど聞かれません。

あるいは、どこかの自動車会社が長きにわたってリコール隠しをしていたからといって、別にどうということはありません。もちろん、多少のお灸はすえられます。しかし、それだけのことです。しばらくして、私たちの記憶もかなり薄れてしまいました。

だとするなら、正直にリコールを明るみに出して売り上げを減らすなどというのは、バカげたことです。顧問弁護士をつとめる法律家が「正直にやるべきです」などとアドバイスしても、相手にされないのは当然だと言えましょうし、そもそも初めから、そんなアドバイスを期待して法律家に訊ねようなどとは誰も考えません。

儲けるだけ儲けて、トラブルが明るみに出てから、おもむろに対応すれば、会社としては済んでしまうのですから。

2015年11月18日水曜日

総合福祉保健センターの建設

これまで福祉の担当者は、ほとんど地域のなかに入っていかなかった。それを保健婦と一緒になかに入っていって、福祉の目で住民の問題を見てもらうようにした。ここが野洲町のユニークな点である。このシステムを動かすために町は総工費二〇億円をかけて、一九九二年に「野洲町総合福祉保健センター」(川上雅司所長)を建設した。このセンターは、敷地約二万平方メートルに、のべ面積三六〇〇平方メートルの三階建ての堂々たる偉容を誇っており、文化センターかと見まちがうほどである。新幹線脇に建っているので、「のぞみ号」の車窓からでもはっきりとわかる。

組織には地域の保健・医療・福祉のあらゆるものが揃っており、まさに地域の保健・医療・福祉の発信と受信の基地になっている。いわゆる保健センターといわれるもののなかで、これだけ立派なものは、少なくとも、私は初めて見学した。この保健センターが設立される前年の一九九一年に野洲町は特別養護老人ホーム「悠紀の里」(五〇床 運営は社会福祉法人)を開設している。この特養はB型(重介護型)のデイサービスセンターを併設する。

このようないわゆる、ハコモノだげでなく、町では実質的に保健・医療・福祉のドッキングに努力していることが二つある。その一つは、この町には医療法人立の病院が一ヵ所、診療所が一一ヵ所あるが、モデル事業を通して、要介護老人のすべてに主治医を確保することに成功したことだ。これは非常に重要なことで、老人が在宅での生活をするためには、どうしてもかかりつけ医の協力が必要である。そこに、保健・医療・福祉のインテグレートが重要な要素になるわけである。

もう一つは、このモデル事業の四年間に在宅支援の活動が住民に浸透したということである。在宅ケアについて住民自身から相談を持ちかけてくれるケースが年々ふえていること、そして相談を持ちかける時期が年々早くなっていること、さらに相談を受けてからの対応が速やかになっていることなどがそれを物語る。

2015年10月17日土曜日

海外の機関投資家を相手する

総合電機という名のもとに、コンピューターのソフトウェアー事業を行なっている会社が掃除機をつくる。水産会社が京都に大きなホテルを持つ。こういった例をいろいろ見ていきますと、当事者としてはそれなりのシナジーがあるとは考えているのでしょうが、実際にはかなり疑わしいと言わざるをえません。

多くの場合、日本の大企業がコングロマリット経営から抜け出せないでいるのは、実は思いのほか単純なことが理由になっているようです。「この事業は、会長のFさんが部長だった頃に担当していた事業なんだ。自分を社長に引き上げてくれたFさんに、この事業を売りたいなんて言えるはずないじやないですか」本当のところはこのように考えている社長もいるかもしれません。

ところで海外の機関投資家を相手に日本の経営者がコングロマリット経営を擁護するのに使うロジックの二つ目がGE(ジェネラルーエレクトリック社)です。「コングロマリットは低く評価されると言いますが、納得できません。世界で二二位を争う価値が高い会社はとこですか。アメリカのGEでしょう。GEはコングロマリットの典型じやないですか」

たしかにGEは傘下に放送(NBCユニバーサル)、金融、医療機器、電力設備、航空機エンジンなどの事業会社を持っています。事業相互に関連性はなく、コングロマリットの典型です。どうしてGEは、コングロマリットーディスカウントを受けずに高い株価を維持することができたのでしょうか。

実は、これはアメリカの研究者の間でも話題になってきた点です。現在の一般的見解としては、数年前までGEの会長だったシャッターウェルチが、事業ポートフォリオを築く抜群のセンスを持っていたからだとされています。すなわちウェルチは、経営者、事業家でありながら、株式市場や投資顧問市場などで活躍するプロのポートフォリオ・マネージャーを上回る「天才的なポートフォリオ・マネージャー」でもあったとする見解です。

日本の総合電機の社長の中には「GEでもコングロマリット経営をしているので、当社も各種の事業分野を有している」と、欧米のアナリストに説明する方がいます。しかしながら、こういった説明は欧米のアナリストたちにすぐ切り返されてしまいます。いわく、「第一にシャッターウェルチは例外です。第二に、GEは各々の事業部門で、すべて、業界第一位(か、悪くても第二位)の地位を確立しています。それができない事業部門については、GEはきちんと売却してきています」

2015年9月17日木曜日

ヨーロッパの金融危機の実態

戦後、ヨーロッパ諸国が作り上げた最も重要なグループは「欧州連合」(EU)だ。これはヨーロッパ諸国をまとめて政治的・経済的に一つの市場を作り上げよう、というもので、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、スペインなど27力国が加盟している・域内で人とものとサービスと資本が自由に移動できるようにしようというのが大きな目的となっている。EUには司法・立法・行政に及ぶ独立した組織があり、広範な権限を有している。27力国の政府はそれぞれ主権を保持しているが、EUは各国政府から権限を委譲された部分について権限と責任を持つ。組織的にみると、政策を執行するのが欧州委員会で、そこが提出した法案を上下院から成る欧州議会と各国大臣から成る欧州理事会とが共同で決定する、という手順を経る。

EUには約5億人が住む。経済面ではGDPで世界のおよそ4分の1を占め、アメリカに匹敵する規模を有している。そしてEUの一環として生まれたのが、統一通貨「ユーロ」だ。現在17カ国が使用している。オーストリア、ベルギー、キプロス、エストニア、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、マルタ、オランダ、ポルトガル、スロバキア、スロベニア、スペインである。イギリスやスウェーデンなどの10力国はEUには加盟しているが、通貨としてのユーロは使用していない。ユーロを管理しているのはドイツのフランクフルトにある「欧州中央銀行」(ECB)。ECBはユーロに関する金融政策を担っている。

ここで、ヨーロッパの金融危機がどのようにして起きたのかを簡単に振り返っておきたい。大きく言って二つの問題が引き金となっている。一つは、先述したアメリカのサブプライムーロ11ンの問題がヨーロッパに飛び火した、というもの。本来、ヨーロッパの銀行がアメリカで住宅ローンを出す、などということはまずないことだ。遠い外国の一軒一軒の住宅の価値など判断できないのだから当然である。そこでどうしたかというと、アメリカの金融機関が国内の住宅ワーンをまとめて証券にして、格付けを取得したものを買ったのだ(実際にはデリバティブが使われたのでもう少し複雑であるが、基本はこういうことだ)。

しかしアメリカの住宅バブルが崩壊したことで、それらの証券の価値は暴落してしまった。そのためヨーロッパの銀行が巨額の損失を計上し、資本が毀損してしまった。ヨーロッパの多くの銀行が影響を受けたが、特にイギリスの銀行が大きくやられた。例えば、イギリス最大手の銀行グループRBS(ロイヤルーバンク・オブースコットランド)は2008年に大きな打撃を受け、自力での回復が不可能になった。現在同社の株式の84パーセントはイギリス政府が保有している。つまり国有・国営銀行になったということだ。

そして、ヨーロッパの金融危機の、より直近かつ重要な問題は、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルといった国の政府が、急速に借金(国債)を増やしていったことである。これらの国の国債が急速に増えたのには、三つの原因がある。一つは2002年から2008年にかけての世界的な金余りだ。ジャブジャブになった資金が行き場を失い、一方では不動産バブルを作り出し、一方ではギリシャやアイルランドの国債の購入に使われた。二つ目には、統一通貨ユーロとなったため、リスクは小さいと錯覚された、ということがある。これがドラクマ建て(ギリシヤの前の通貨)だったら、通貨が紙切れになったら困る、ということで容易には貸さなかっただろう。その国のローカルの通貨での借金の場合、借り手の政府は、いざというときには札をどんどん刷って(貨幣価値を下げて)返済する、という裏わざがあるからだ。

2015年8月22日土曜日

問題の多い「便宜供与」

「便宜供与」という仕事は、優れて現代的な仕事である。かつてのように交通手段が未発達な時代であれば、本国からくる人間の数ぱ知れたものだった。しかし、交通手段の多様化、そしてその迅速化は、人間の国際的移動を日常的なものにするに至った。その影響が大使館に及ぶのもまた、不可避的だった。

外交交渉に際して、本国から大代表団が外国に移動することは、もぱやなんら珍しいことではない。代表団の規模が大規模になればなるほど、そしてその構成がハイーレペルになればなるほど、大使館としては、その応接に落度がないように心を砕かざるを得なくなる。

このような内容がある代表団なら、大使館としてもそれなりのヤル気が起こるというものだ。しかし、今日では実に多くの「どうでもいい」、あるいは「何をしにきたのかわからない」、さらには「こられては迷惑」としかいいようがない「便宜供与」が圧倒的に多い。

特に指摘する必要があるのは、国会議員の「海外視察」である。立法事項との関連で是非とも行なわなければならない視察といえるものがないわけではない。しかし、その類のものは圧倒的に稀な部類に属する。国会議員「先生」の海外視察は、そのほとんどが税金のムダ使いと断言して差し支えないものだ。そのことを端的に示すのは、選挙が近づけばこの種の視察が激減するという事実だろう。

私自身ぱ、オーストラリア、ソ連、中国という「清潔」な国に勤務したお蔭で、「外遊」公害から比較的免れた。しかし、聞くところによると、「ロンーパリ」と略称されるロンドン、パリでは、国会閉会中で選挙もない夏休み期間中には、「先生」たちの「外遊」が目白押しで、外交官たちは休む暇もないという。

2015年7月18日土曜日

扱う問題の複雑化・専門化

対外経済協力の場合、必要な予算は外務省についている(経済協力予算は、その主要部分が外務省予算の中に含まれており、いわば財布の紐を外務省が握っている)ので、〈経済協力局〉は他の関係官庁に対してもかなりの交渉力をもつことができる。また、条約の締結および解釈は、行政府では外務省(条約局)の権限になっているので、この二つの局で働く外交官たちは自信をもって仕事をすることができる。

ところが、例えば経済関係の問題になると、どうしても国内経済官庁にかなわない。〈地域局〉でも、政治関係の仕事であれば国内官庁に対してにらみを利かせることが比較的できるが、経済関係の仕事に関しては〈経済局〉と似たりよったりの立場に立だされる。そのような仕事になると、国内官庁と直接やり合う若い事務官たちぱ、自分の仕事を「郵便ポスト」というヤケ気味の比喩に例えることになる。

ほとんどの外交官は、二、三年、長くてもせいぜい数年という期間で、一つの職場から次の職場へと転々と異動する。よくいわれることは、最初の半年は見習い期間、次の一年ないし二年が本番、そして残りの期間は御奉公、という類の考え方だ。後でふれるように、この点では、いわゆる「キャリア組」と「ノンーキャリ組」とでは外務省としての扱いも違うし、本人たちの気持ちのもち方も若干違う面がある。つまり、キャリア組の場合、他の官庁と同じようにどんな仕事でもこなせることが求められている。そのような能力を示すことは、彼らの将来の「出世」にとって不可欠のものだ。

これに対してノンーキャリ組の場合、「なんでも屋」になる人もいるし、比較的特定の仕事に特化する人もいる。特に「特殊語学」といわれる特定国でのみ通用している言語を研修した者の中で通訳能力に才能を示す人は、その言葉を生かした仕事、そしてその言語を喋る国の仕事を専門にする傾向がある。また、特定の分野の仕事(例えば漁業)を一定期間続ける結果、その後もその人なしには済まなくなるようなケースも生まれる。

2015年6月17日水曜日

アメリカのネオコン

プルタークの『英雄伝』の名のほうで知られている『列伝』で、著者プルタルコスがこのアレクサンダーと対比して書いているユリウス・カエサルが行ったガリア戦役も、「大義」ということになると怪しい。この人の場合は、先制攻撃と言えないこともない。侵略してきたわけでもないガリアに攻めこむカエサルの大義とは、ゲルマン民族に押されているガリアの諸部族の現情を放置していては、ゲルマンに押しこまれたガリア人が逃げ道を求めるあまり、その南にあるローマ領になだれこんでくる、というものであったからだった。

ただし、まだそのような状態にまでなっていなかったガリア人にしてみれば、カエサルの軍団を迎え撃つ大義は充分にある。そしてこの場合も、結果を決めたのは軍事力だった。しかし、この二人が他の数多の侵略者と同一視されずに歴史上の英雄になったのは、戦争に勝って以後に、主観的な大義を客観的な大義に変えるということをしたからである。ほんとうの意味ならば存在しなかった大義を、ほんとうの、つまりは敗者さえも納得する大義に変えたのであった。

アレクサンダーは、自ら率先して一万人もの部下とともに、ペルシアの女との結婚式を戦争の大義について行った。もはやギリシアもペルシアもない。両者ともアレクサンダーの帝国には、対等の立場で参加するのだという意志の表明である。若き将軍が築こうとしたのは、新秩序であったのだ。カエサルもまた、この考えを踏襲している。ガリア人は奴隷にされず、有力者たちにはローマ市民権が与えられ、部族の長ともなると、現代の国会に該当する元老院の議席まで与えられたのだった。こうしてガリア人も、「パクスーロマーナ」というローマ人の大義の一翼をともに荷なうようになっていく。「ローマによる平和」以外の何ものでもない「パクスーロマーナ」だが、あれも新秩序であったのだった。

こう見てくると今のアメリカのネオコンも、最終目標としては「パクスーアメリカーナ」を打ち立てようとしているのかと思えてくるが、アメリカ人は、プルタルコスによればローマ強大化の主因であったという、敗者同化にまでいけるのであろうか。しかし、われわれ日本人は、「アメリカによる平和」であろうと何であろうと、国際情勢を左右できる政治力もなければ経済力もなく、ましてや軍事力もない。そのうえ、第二次大戦当時には日本なりにはあった大義でさえも、敗戦後の戦犯裁判で、大義ではないとされた経験をもつ。ほんとうならば「大義」と言われただけでせせら笑ってもよいくらいなのに、その日本人の口からイラク戦争には大義はないなどという議論が出るのだから失笑ものである。

大義などはないのだ。といって、新秩序をつくる力はもっていない。この現実を見極めれば、やれることは限られてくる。他の国が大義と言おうが日本だけは心中でせせら笑い、それでいながら冷徹に国益を考え、その線で行動することだけである。いまだ前哨部隊とはいえ中東の地に足を踏み入れた自衛隊員の姿は、イタリアのテレビニュースでもしばしば見かけるようになった。世界平和が目的の海外派兵でも国営テレビでドラマ化されて高視聴率を稼ぐイタリアなので、日本の派兵も、新らしいお仲間登場という感じで受けとられている。ただし、お仲間は他にも多いはずなのに少々特別あつかい気味なのは、主要国である日本もようやく家の外に出てくる気になったという想いがあるからだろう。それを見る私の頭の中は、ごく自然に、防衛大の卒業式で来賓として祝辞をのべた十年前にもどっていた。

2015年5月22日金曜日

集落再生プログラムに向けて

あるいは、すでにふるさとを失った人間にとっても、本来、日本社会を構成する重要な基盤であったむらや町といった地域社会を、自分自身を含めて今後、どのように社会全体として受け継ぎ、日本という社会をどんなふうに設計したいのか、他者の問題ではなく、自分白身の問題として問うことでもある。そしてもし、こうした問いから出発できるのなら、これまでのような、「かわいそうな高齢者をどう救うのか」とか、「効率性の悪い地域には消えてもらえ」とかいうものとは全く異なる方向で限界集落論を考えることができるようになるはずだ。それは国家発・経済発・専門家発の議論ではなく、集落発・家族発、そして何よりも個々の暮らしの中から発する議論になるだろう。

集落再生を考えるに当たって以下の後半では、筆者が関わってきた、青森県におけるいくつかの具体的事例を示しながら、限界集落問題をうまく切り抜けていくために、今後に向けて何が必要なのか、集落再生のためのプログラムについて整理していきたい。まず、この問題を考えるための深い材料を筆者に与えてくれた調査地の一つ、青森県西津軽郡鯵ヶ沢町にある深谷地区を訪ねることにしたい。ここで紹介するのは一見、些末な事実の積み重ねだが、主要論点につながっているので、ややわずらわしくとも、筆者はこの地で考えたことを示しておく必要がある。論理発の再生論ではなく、フィールド発の再生論を構築するためにはどうしても必要な手続きなのである。

最初に、集落再生を模索するに当たって、筆者自身が重視した二つの点を述べておこう。第一点目として、限界集落をいくつもまわってみて分かるように、実際の集落の状態は、いまだにいたって健全だということである。では、この健全さはいかなる根拠に基づくのだろうか。そしてもう一点は、集落再生のプログラムといっても、何を起点にそれを進めるべきか、という問題である。この第二点目について、もう少し詳しく述べておきたい。過疎問題の歴史をたどれば、そこには異様なほどの国の関わりがあり、これまでの過疎対策がつねに国主導で動かされてきたことを実感する。そして、これまでの地域再生をめぐる枠組みも、基本的には国の側でメニューが作成され、行政機関がそれを受けて各集落に示し、事業への参加が促されるというスタイルがとられてきた。過疎問題解決のプログラムはこれまで、その起点は国や行政の側にあって、当の集落や住民の側にはなかったと言ってよい。

このことは研究者や専門家と呼ばれる人間の側でも同じであったように思う。議論はつねに専門家の側から始まった。近年ではNPOや市民による事業においても同様だろう。地域に暮らす住民の側からすれば、どこか雲の上の遠いところで議論がなされ、問題点が提示され、また何をすればよいかのメニューも示されてきた。しかもそこには、しばしば資金まで用意されていて、自分たちはただついていけばよく、かつては従ってさえいればお小遣いさえもらえることもあったわけだ。二〇〇〇年代の行財政改革以降、最後の資金面については制約がかかるようになり、自己資金を要求されたり、強い監査が入ったりと厳しくはなったが、メニューが向かう側から下りてくる構図は依然として変わっていない。

これについては、当の住民側にも問題はあった。こうした補助金行政・メニュー行政に慣らされてきたため、それが当たり前と考えるようになり、身近な市町村の担当者とのやりとりでさえも、最後は「役場は何をしてくれるのか」としか話ができないようになっていた。専門家に対しても同じだ。問題解決のために何をしたらよいか、答えを出してくれるのを期待するだけで終わってきた。集落再生プログラムを考えるに当たっては、こうした根本のところからの発想の転換が必要である。集落の外や雲の上ではなく、限界集落とされるその場所から発する再生論を構想しなければならない。過疎・少子高齢化の現場で、これまで何が生じ、これから何が起きようとしているのか。この問題に関わる人々が、いま何を考え、どんな行動をし、どこを目指しているのか。こうしたことを起点にした集落再生論である。

2015年4月17日金曜日

電子書籍のインパクト

本格的な電子書籍が日本の出版業界に与えた一番のインパクトはなんでしょうか。私は「価格の自由化」だと考えます。電子書籍は再販制度の対象外で、紙の本では制度上できなかった値上げや値下げが簡単にできます。日本の出版業界は、電子書籍によって、多彩な価格戦略をおこなう余地を手に入れたのです。ところが、価格戦略についてほとんど意識してこなかった出版社や著者は、電子書籍での印税率がどうなるか(売上のうち著者にどの割合を分配するか)は話題にしたものの。肝心の価格をどう決めるかについては深く考えていないようにみえます。「紙の本と電子書籍を同時に売るなら、電子書籍の価格は紙の本の何割引かにする」といった感覚で。かなり適当に価格を決めている感じです。

日本でも、例外的に価格戦略のようなものを電子書籍で試している出版社はあります。しかし、単純にかなり安く売って、ダウンロード数が増えて喜ぶといった感じです。最初に安い料金設定をしすぎて、そのあと値上げできずに苦しんでいるインターネット広告や、無料で情報を流しすぎて失敗した新聞社など、過去の他業種の失敗例からなにも学んでいないようで、かなり危険な状況です。IPadが登場し、2010年が電子書籍元年と呼ばれるようになってから、電子書籍ビジネスに関係する企業は、自社内でも、同業者とも、他業種とも、電子書籍のフォーマットや販売ルートといったことを真剣に議論し始めました。しかし、本書執筆中の2011年前半に何人かの関係者に質問したところ。出版社が中心になって価格戦略をきちんと議論する動きはほとんどない、とのことでした。

2015年3月18日水曜日

経済の基礎的諸条件

強力な岩盤と想定されていた株価二万円割れについて、さまざまな憶測や陰謀説示取沙汰された。経済の安定性と秩序維持を確保する上で最重要な根幹である金融システムを動揺させるほどの株価の暴落であったため、スケープーゴート探しが始まったのである。このなかで有力な仮説の一つは、外資系の会社による金融先物やオプション取引を広範に採用した大規模な売り投機が株価の暴落をもたらしたとするものであった。

外資系のファンドによる銀行株を中心とした日本株の全般的な売りが大規模に展開されたことは確かであった。だが、九二年四月の日本株大暴落の中心的理由が本当に外資系の投機によるものであったかどうかぱ、今となっては確認のしようもない。しかし、この四月初めの暴落の直前に、投資家向けの高級週刊新聞として著名なハロンズが、日本の株式市場に関して総悲観説を大々的に展開したのであった。

『ハロンズ』が"Sayonara"と題して特集した日本株の暴落論が、外人投資家に及ぼしたインパクトは確かに強烈であったと推測できる。九二年四月六日付の同紙の一面をみると、北斎の富嶽三十六景の浮世絵をもじって、東京株式市場を表す帆掛け船の″日本丸”が急降下するなかで、大波に今にも飲み込まれそうになっている絵が描かれている。この挿絵は当時の状況を見事に描き切っていたといってよいだろう。また『ハロンズ』は、九〇年初めから開始した日本株の大暴落は一九二九年のウォール街における米国株暴落と八〇年における金価格暴落に並び、二〇世紀でも最悪の三大バブル崩壊の一つになる可能性を指摘したのであった。

日本株が歴史的大暴落に追い込まれ、金融システムすらが動揺するまでになったのは、それだけ十分な条件がわが国の径済や金融面に生じていたためである。火のない所には煙が立だないのと同じように、いくら外資系の投資家が、先物取引やオプション取引といった最新の投機的手段を駆使し、大挙して日本株に売りを仕掛けたとしても、株式市場や経済の基礎的諸条件から判断して暴落する条件が存在しないならば、マーケットというのは本来的には何らの動揺も示さないのである。

2015年2月18日水曜日

手配するタイミングで屯りとも安い運賃を探そう

大手三グループの標準的な割引運賃を時間的に整理してみよう。利用の二ヵ月前であれば全日空の「超割」、日航の「前売りスペシャル」、JASの「月曜・火曜ウルトラ割引」が断然買い得だが、対象にならない日が多い。

次に、三週間前までは各社の「事前購入運賃」だが、日航以外は対象路線が限られている。あとのチャンス往剛日までの「特定便割引」で、ほとんどの路線に設定されている。

それでも当日になってしまった場合には、「往復割引」(一三―二二%引き)か、インターネット運賃をチェックして利用しよう。全日空でもANAマイレージサービスの会員で、チケットレス(直接予約で電子決済を利用)サービスを利用すれば、航空券の二%が割引になる。

もちろん、往復をすんなり「往復割引」で買うより仕方がないのか、片道をインターネット運賃や空席利用の「スカイメイト」、帰りを「特定便割引」で買う方が安いのか、などもひと通り検証してみよう。

2015年1月21日水曜日

経済摩擦から文化摩擦へ

日本の現状をみればたちどころにわかることではないか。家庭の主婦やOL、大学生までが東証日経平均株価を知り、その高低に一喜一憂するのが日常茶飯事である。つまり、カネがすべてである。ことにオイル・ショック時の全OPEC諸国があげた国際収支余剰以上の巨額な貿易収支を「平年度」において、しかも円高急騰時の下で平然と稼ぎ出すような国に対する国際的批判はたんにその国の貿易構造・生産構造だけに集中して行なわれるのではない。その社会、文化、人間の意識構造にまで波及することは当然である。

現在、次のような摩擦が日本を中心に表面化している。海外直接投資対象国群(米・欧・東南ア・中南米等)の各国においてじょじょに高まりつつあるといわれる日本企業の経営摩擦と労働摩擦、原料(原木とチップ)と製品(合板)の極端な輸入不均衡から資源の収奪と批判される木材摩擦とさらに同様なアルミ摩擦、日中摩擦と称される対中国貿易の不均衡、日米皮革交渉にみられる日本側の拙劣な対応、日米農産物をめぐる一連の交渉における利害の激突、国家安全条項まで引用された日米半導体摩擦、自動車対米自主規制枠で一応のケリはっいたが今後とも火を吹きそうな日米自動車問題、超LSI(超大規模集積回路)と第五世代コンピュータをめぐる日米ハイテク摩擦、鉄鋼・自動車・カラーTV・ボールペアリングにみられる集中豪雨型輸出と大量安売りによる相手国関係業界への抹殺的なぐりこみ、失業を生むと批判され、製品輸入の拡大と日本産業の構造改革を正式に要求する事態を招いた対EC輸出、香港やシンガポールにみられる日本製品広告規制要求、各地で増加しつつある日本ビジネスに対する脅迫・誘拐などである。

そして、さらにそれらは深みを増してくる。これらは徐々に市場秩序維持協定の締結を迫り、欧米に深まりつつあるパーセプションーギャップ(日本人の対外甘えの意識と真珠湾攻撃以来の日本人のアンフェア性を高く掲げる欧米人の認識の差)の溝を拡げ、そして次第に盛り上りつつあるジャパン・プロブレム意識をあおっている。

「叩けば叩くほど効く」という錯覚に陥った欧米側の日本産業への「日本たたき」が次第に定着し、日本産業構造の背景、ひいては続発する経済摩擦の日本側背景には、日本文化の特異性があるとして、それを攻撃する文化や人種摩擦論争まで誘発しているのが現況である。