2016年4月18日月曜日

世界を席巻する生活スタイル

WASPは「躾」を重んじるが、ボボズは、生涯にわたって自己教育することを重んじ、自分から最大のものを引き出そうとする。WASPは顕示的消費にお金を使うが、ボボズは、フィットネスやオーガエック食品にお金を使う。たとえば、最高級のトレッキングシューズに数百ドルを使ったりする。WASPはヨーロッパの貴族的生活スタイルを求めるが、ボボズはマイノリティたちの絵画や彫刻、あるいは音楽を深く理解しようとする。ボボズは大衆消費社会の手先になることを拒否して、洗練されてはいるがあまり利益の上がらない商品を探して購入する。

ボボズは「ボヘミアン」と異なり、喫煙せず、アルコールを控え、奔放な快楽主義や退廃的生活を避ける。ボボズは旅行においても、快適さや癒しを求めるのではなく、たとえば環境保護意識を高めるようなプランを考える。これらが「ボボズ」の特徴である。その特徴を一言でいえば、文化的な創造を求めてあらゆる努力を惜しまない人々、ということになるだろう。ボボズは「創造としての自由」を人生最大の価値とする。彼らはたんに、社会で成功するためにクリェイティブになろうとしているのではない。社会的成功とは関係のない趣味の領域においても、創造的になることを願っている。私たちが「ボボズ」から学ぶべきは、社会的成功とは別に、「創造的自由」というものを生き方のポリシー(信条)とする点であろう。

この他にも、最近では「ロハス」という用語が話題となっている。アメリカでは雑誌『ロハス・ジャーナル』によって、日本では雑誌『ソトコト』によって、健康や環境にやさしい生活を提案する商品がいろいろと紹介されている。たとえば、有機コットンのシャツを売る「パタゴニア」社、石油に依存しないカーペットを目指す「インターフェイス」社。あるいは合成保存料や着色料を用いないオーガエック製品を販売する「ストーニー・フィールド・ファーム」社などの商品が代表的である。

2016年3月17日木曜日

模擬陪審の経験は貴重である

もっとも、「弁護士会がやる模擬裁判に集まるような人々は意識が高いのであって、本物の陪審裁判ではこんなにレベルの高い陪審員は集まらない」という指摘もありました。しかし、アメリカでも立派にやっている例が多いし、仮に陪審員のレベルの問題があったとしても、陪審員の選択の方法や手続などを工夫することもできます。

他方、私たちの模擬裁判では、裁判官(弁護士がその役を担当しました)の説示が必ずしも充分ではなく、弁護士もあまり慣れない弁論活動でした。しかもその素材たるや、強力な証拠開示制度もなしに集められた、これまで通りの裁判資料だったわけです。

その辺のマイナス要因もかなりあったことを考えると、限定された前提と、必ずしも万全ではない環境であれだけやれたのは、あっぱれというべきだと思うのです。

模擬陪審に参加した市民の人たちは、一様に「良い経験ができた」という感想でした。もちろん、精神的には厳しい判断を求められて「つらい」と感じることはあるでしょう。逃げ出したくなる気持ちは分かります。

しかし、誰かが引き受けなければならないわけで、それはとても重要で意義のあることです。一人ひとりが裁判官の説示や弁護士らの話を聞きながら、争いの真相はどうなのか、何か真実か、どう解決すべきかということを真剣に考えさせられるわけです。

2016年2月17日水曜日

日本の社会保障の現状

住宅も生活に大きな影響を及ぼします。在宅福祉の推進が近年叫ばれていますが、在宅の宅。すなわち住宅に十分な広さと良好な環境がなければ、絵に描いた餅に終わってしまいます。福祉先進国の北欧諸国では「住宅は福祉の基礎」といわれています。

教育も機会均等をはかるうえで、重要な要素です。どんな教育を受けたかが、どんな職業につけるか、どのくらいの収入を得られるかを大きく左右します。良好な教育機会が家庭の貧富にかかわりなく与えられなければなりません。まちづくりも社会保障と大きなかかわりがあります。誰もが自由に働くことのできる社会は、高齢者、障害者、乳幼児を抱えた親などが外出し。仕事をし、生活するうえで大切なことです。

さて、わが国の社会保障はどのように生活を保障しているのでしょうか。それをわかりやすく、出生から死亡までの生涯にわたって、図示しだのが次ページの図です。出生から死亡まで体系的に整備されています。その水準も年金の給付額や医療の受けやすさなどの点で基本的に欧米と遜色のない水準に達しているといわれています。

ご方、福祉の面では不十分なサービス水準にとどまっています。保育所の待機児童の多さ、障害者を持つ家庭の苦労、高齢者の福祉の不十分さ。これらの福祉分野の施策はこれまで、ほぼ全額税金の投入で行われてきました。税金はどうしても他の分野の施策と競合し、予算額も前年踏襲で飛躍的な増加はなかなか望めません。わが国の中央集権体制も影響して、地域福祉の独白の展開も、権限・財源の両面から難しいものがありました。

社会保険で独白の財源を確保して、制度の拡充を行ってきた医療や年金と比べて、どうしても見劣りがする原因がここにあります。介護保険の創設は、福祉分野に保険的手法を導入した初めての例です。何でも保険でというわけにはいきませんが、税を主体に行うにしても、民間の力をどう活用していくかが問われている時代といえましょう。

2016年1月20日水曜日

PKO協力法の疑問点

湾岸危機のさなか、ニューヨークを訪れた自民党代議士に対して、当時の米国国連大使は、非公式ながらもこんな趣旨の発言をしたことがある。「日本が常々、常任理事国になると言うのなら、気持をはっきり実行に移してほしい。日本の国旗を立てた船舶を出してほしい」。これは、暗に掃海艇の要請を求める言葉だったが、英国大使はさらに、別の席で、「金だけではすまないのではないか。

世界中が日本を見守っている」と、要員の派遣を促した。現在展開中のPKO要員七万千人近くのうち、西側派遣は約四〇%に上る。常任理事国になれば、こうした通常のPKOは言うまでもなく、平和実施部隊や多国籍軍型の活動についても、風圧が強まることは避けられないだろう。

第一の問題は、現行のPKO協力法にある。「国連平和維持活動に対する協力に関する法律」は九二年六月に成立し、それに基づいてカンボジアなどに自衛隊が派遣されたが、さまざまな問題点は、いまだに解決されたとは言えない。一つは、カンボジアで実際に起きたように、PKO参加五原則の一つである「停戦合意」が完全に守り切れていない場合、どの時点で、だれが撤収を判断するのか、という問題だろう。

第二は、武器使用の許容範囲だ。協力法では、組織としての武力行使を排除するために、生命や身体防護のための「正当防衛」に限定しているが、国連の実際の解釈は、生命防護だけでなく、「任務遂行妨害」の場合にまで範囲を広げている。これを実際に区別し、他の国連部隊と調整することは、かなり困難な問題だろう。

第三は、PKOとPKF(平和維持軍)の関係だ。国連では、日本のように両者の概念を区別し、使い分けることはしていない。協力法では、PKFについては凍結したが、カンボジアでの実際の活動は、PKOであっても、他のPKFと混然一体となって展開するのが一般的だったと言われる。

第四は、日本の指揮権と国連の司令官の「コマンド」の関係だ。協力法では「コマンド」を「指図」と呼んで日本の指揮権と区別したが、実際の現場での作戦指揮は、国連司令官が統一するというのが常識になっている。カンボジアでは大きな問題にはならなかったが、日本の指揮権と国連の「コマンド」が食い違った場合にどうするのかは、依然として不透明のままだと言える。