2016年3月17日木曜日

模擬陪審の経験は貴重である

もっとも、「弁護士会がやる模擬裁判に集まるような人々は意識が高いのであって、本物の陪審裁判ではこんなにレベルの高い陪審員は集まらない」という指摘もありました。しかし、アメリカでも立派にやっている例が多いし、仮に陪審員のレベルの問題があったとしても、陪審員の選択の方法や手続などを工夫することもできます。

他方、私たちの模擬裁判では、裁判官(弁護士がその役を担当しました)の説示が必ずしも充分ではなく、弁護士もあまり慣れない弁論活動でした。しかもその素材たるや、強力な証拠開示制度もなしに集められた、これまで通りの裁判資料だったわけです。

その辺のマイナス要因もかなりあったことを考えると、限定された前提と、必ずしも万全ではない環境であれだけやれたのは、あっぱれというべきだと思うのです。

模擬陪審に参加した市民の人たちは、一様に「良い経験ができた」という感想でした。もちろん、精神的には厳しい判断を求められて「つらい」と感じることはあるでしょう。逃げ出したくなる気持ちは分かります。

しかし、誰かが引き受けなければならないわけで、それはとても重要で意義のあることです。一人ひとりが裁判官の説示や弁護士らの話を聞きながら、争いの真相はどうなのか、何か真実か、どう解決すべきかということを真剣に考えさせられるわけです。