2014年6月26日木曜日

自然

わが国の桜と紅葉は、日本ならではの美である。もちろん、日本ならではの美は、他にもいろいろあり、また日本ならでは、でなくても、美しいものはすべていい。そう思いながら私は、この日本中を覆う桜の美しさは、秋の紅葉と共に、日本人にとって、なんとうれしい自然の恵みであることか、と思う。だが桜の咲く期間は短くて、たちまち過ぎてしまう。

毎年、桜の開花情報を聞いて、名所と言われるところに行ってみようかな、と思いながら、ぐすぐずしているうちに、散ってしまう。けれども、名所と言われるような所には行きそびれても、桜を見ない年はない。都市によっては、違いもあるだろうが、東京は、街なかにも桜が少なくない。処々方々に咲いている。上野や千鳥が淵などへわざわざ出かけて行かなければ見られない、というものではない。私の仕事場のあるあたりはビルだらけで、まるで裸の土のない所だが、そんな所でも、すぐ近くにかなり大きな桜の木が一本あって、季節を伝え、眼を楽しませてくれる。

一本だけでも、大きいので見ごたえがある。港区保護樹木と書かれた札がかかっているから、切られることはなく、毎春花を咲かせることだろう。この一本桜は、今はもうほとんど花か散り、葉が出はじめているが、この一本桜の花見なら、行きそびれることはない。今年の桜は例年より開花の時期が長いのだそうだが、それでも、東京の桜はほぽ散ってしまった。これからは、福島や仙台が見ごろになるのであろう。東京は、桜が終わると街路樹の若葉の芽のふくらみが眼につくようになる。

都心で過ごす私は、一本桜で花見をしたり、街路樹の若葉の芽のふくらみ具合を観察したりしながら、細々と自然に付き合い、季節を感じて楽しんでいる。だが、やはりそんな程度では欲求不満になる。その不満が、ゴルフ場に行くと満たされる。今年は、一本桜の花見だけでなく、先日、ゴルフに出かけて、花見もたっぷりさせてもらった。ゴルフ場には桜のみごとなところが少なくない。

2014年6月12日木曜日

貴重な回り道

底辺の活動家たちはこの論文に肯定的な評価を与えてくれた。それはこれらの活動家の声を、私が多くとり上げていたからである。しかし大学に籍を置く人たちからは、あの論文は「ドロ臭い」という、さげすんだ評価を受けた。あの時、私は大学に籍を置いていなかった。ある私立高校とデザイン学校との講師をしながら、運動をしたり翻訳をしたり物を書いていた。

あの論文を「ドロ臭いけれども新しい芽がある」と激励してくれたのは、雑誌「中央公論」の編集者をしていたH氏であった。あの小さな論文に少しでも取り柄があったとしたら、それは私が当時左翼の立場にありながら、硬直化したマルクスの理論に頼らなかったことではないか。新鮮な芽があったとすればマルクスにとらわれないで、また運動に決定的な影響力を持っていた共産党に遠慮しないで、経験的事実を語ったことではなかったか。

それだけでなく私は運動に突っ込み、底辺のドロ臭い現場を駆けずり回ったことで、大学の研究室では、絶対に学べなかった何物かを学ぶことができたと今でも信じている。その何事かとは、きれい事ではない社会の現実のなかに動いている、人間関係の原理といったものである。その何事かを学んだために、経験的世界とのかかわりを失ったドグマや、美辞麗句に迷わされない物の見方を、少しは身につけることができたのではないかと思う。

あの「思想」の論文を書いた後、私は一九六〇年の、日米安保条約反対運動に参加することになった。しかしその運動の挫折の過程で私は、左翼の運動に徹底的に愛想を尽かしてしまった。その挫折と絶望の底で私を支えてくれたものは、同じような経験をした友人たちと作った、「現代思想研究会」というグループであった。あの研究会には左翼運動に絶望した優れた友人たちが集まってきた。

そこで私はマルクス主義批判だけでなく、新しい近代化の理論などに触れた。そして新しい歴史観を徐々に構築していったのである。つまり経験の世界で挫折したため、私は抽象的な理論の世界に戻ることになった。そしてこの抽象の世界での学習を通じて、私は新しい回心を遂げることになった。それは新しい理論を獲得することによって、それまでの経験に新しい光を当てて整理し直す過程だった。私にとってその後のアメリカでの研究活は、この回心の過程を完成させることになった。