2014年12月18日木曜日

共同体的資本主義の社会

共同体志向の資本主義にも個人や企業の目標はあるが、前提がまるでちがう。労働者は企業という名のチームの一員であり、チームの成功なくして個人の成功はありえない。個人にとって大切なことは、自分にふさわしいチームを選ぶことだ。いったんチームを選んだあとは、個人の成功・不成功は選んだチームすなわち企業の成功・不成功と密接に結びつく。アングローサクソンの社会では、企業に対する忠誠心などと言っても、うさんくさい視線を浴びるだけだ。個人の成功は個人の手柄であって、チームのおかげではない。

ドイツや日本では、アメリカやイギリスにくらべて転職率がはるかに低い。共同体的資本主義においては、労働移動率は低いほうが望ましいとされる。リンゴの実がなるころに自分はそこにいないだろうと思えば、誰もリンゴの木を植えたり(企業のために自己犠牲を払ったり)はしないだろう。反対にアメリカやイギリスでは、労働移動率が高いのはいいことだと考える。労働者を解雇するのは企業にとって不要な労働力を切り捨てることだし、労働者の側から見れば会社を辞めるのはより賃金(生産性)の高い仕事に就くチャンスだ。退職であろうと解雇であろうと、労働移動率は効率と同義語なのだ。

企業の目標を決める際に、誰の利益を優先させるか。個人主義的資本主義と共同体的資本主義では、答えが全然ちがう。日本の企業では、まず何よりも従業員の利益を第一に考える。つぎが顧客の利益。そのあとかなり水が空いて、株主の利益がある。アングローサクソン系の企業では、株主の利益以外に考慮すべき利益はない。従業員の利益を第一に考える日本の企業では、従業員に少しでも高い賃金を支払うことが企業のいちばんの目的だ。賃金や雇用を維持するためならば、利益を犠牲にする。株主への配当は少ない。

共同体的な価値観を重んずる社会では、労働者の技能を向上させるための投資は企業の責任である。これに対して、アメリカやイギリスでは、技能の向上は労働者個人の責任だ。企業の目的は高い技能をできるだけ安い賃金で雇って経営効率を高めることにある。労働者は会社と利害を共有する存在ではない。労働者は単に生産の一要素にすぎず、必要なときに雇って不要になったら解雇するだけのことだ。

個人の目標と企業の目標に加えて、共同体的資本主義の社会ではあとふたつ、レベルの異なる目標がある。三井グループやドイツ銀行グループのような企業グループには、グループ全体の戦略目標がある。グループ内の企業は財政面で手を結び合い、おたがいの事業がやりやすいように協力し合う。日本の場合、「系列」には部品会社、メーカー、販売会社というタテの系列と、さまざまな産業分野の企業が集まったヨコの系列とがある。

2014年11月18日火曜日

裁判制度の簡素化の必要性

残念なことに、多くの日本の裁判は、ほとんど誰も見ていない中で弁護士と裁判官の手でパッパと済まされます。法廷は公開されているなどと言っても、形式的な公開であって、あれで裁判の透明性が確保されていて分かりやすいと思っている人は、まずいないでしょう。

確かにこれは効率的で、司法エリートにとっては都合の良いシステムでもあります。ちょうど、国民の目の届かないところで仕事をしている官僚に似ています。そのため、裁判というのはそういうものだとして、重大事件であっても国民に十分な説明はなされません。

これは、一部の専門家だけに任せきりにしてきたからでもあります。先に「日本の法律は事業者寄りである」と述べました。ところが、アメリカでは陪審制などを通じて法律の運用をじかに見ていますから、専門家たちも下手なことはできないようになっています。

観念としての権利だけでなく、現実の手続も含めて、しっかりと国民がチェックできますし、実際にチェックしています。こうしたことから、法制度の全体的なシステムや手続も事業者べったりになったりはしないわけです。

つまり、一般の人が裁判所に入ってくることによって、法律の実際の運用のされ方が分かるようになり、人々の問題意識は格段に高まるのです。それこそ、「確定申告を個人にやらせた方が税金に対する意識が高まる」などというのとは比較にならないほど、その効果は大きいのではないかと思います。

2014年10月17日金曜日

土地譲渡益に対する税金

保有する土地を取得価格以上で売却すると、譲渡益という儲けが生じる。土地神話の下、地価がたえず右肩上りに上昇を続けた期間には、この土地譲渡益が将来確実に保証されていた。この譲渡益こそが土地の資産価値を著しく高め、土地を投機対象にした元凶である。

土地売却による譲渡益は、株式譲渡益と同じように所得税、法人税によって課税される。したがって本来資産課税ではないが、土地譲渡益課税が土地の資産価値と密接に関連するので本章で取り扱うこととする。

戦後わが国の税制において、土地譲渡益に対する課税は場当たり的にいわば猫の目のように、ひんぱんに変更されてきた。地価対策として、土地供給の促進のために税制が緩和されたかと思うと、逆に仮需の抑制のために強化されるといった繰り返しであった。所期の目的を達成したかあるいは弊害が生じなかったかといえば、かなりの問題点が存在したといえよう。

土地譲渡益に対する税金は、個人のみならず法人も支払う。いま過去二五年間ほどを振り返り、所得税・法人税における土地譲渡益の取り扱いを見ると、次のような三点に特徴がしぼられてくる。

個人は一九六九年に、法人は1973年に従来の税制を根本的に改める分離課税方式を導入した。その際、土地の所有期間に応じて長期、短期の区別を設け、更にその区分基準を幾度か変更している。近年、短期から分離して超短期の区分まで創設した。伝統的に長期譲渡益を軽課、短期譲渡益を重課する考えが定着し、いわばアメとムチの組み合わせとなった。

2014年9月17日水曜日

財投資金に頼らずに調達できる資金額

事業官庁による財政投融資の要求には、財政法や予決令(予算及決算令)にみるような手続き上の定めは存在していない。しかし、実際には予算の概算要求に準じた手続きがとられている。事業官庁は、八月末日までに次年度予算要求と同時に、財政投融資の配分要求を理財局に提出する。したがって、要求官庁は、概算要求の取りまとめ段階において、特定事業の財源として無償資金である予算と有償資金である財政投融資の組み合わせを、省内の概算要求編成過程において調整している。一方、八月末日までには、先に述べた預託側から預託増加額についての資料が理財局に提出され、原資見込み額が検討される。

さて、こうして提出された財投資金についての要求は、主計局による予算のヒアリングとまったく同様に、理財局によるヒアリングを受け、その後に理財局内部の審査にかけられる。理財局は、個別機関についての審査の過程を次のように説明している。まず事業実施の環境、各機関の実施能力と事業単価、各機関の経営状況を判断した上で、さらに政策的プライオリティを加味して事業規模(融資機関については貸出規模)を決定する。次いで、事業実施に必要となる資金のうち、財投資金に頼らずに調達できる資金額について審査する。この中には、各機関の自己資金(事業収入、貸付金の回収など)は当然として、一般会計や特別会計からの補助金、出資金、貸付金などが含まれる。財投所要額は、事業費から自己資金を控除した額を基本としている。

他方において、理財局は、郵便貯金や年金資金などの預託増加額について所管の省庁と調整し、また簡易生命保険資金についての財投協力がどの程度となるのかをつめていく。こうして各機関の財投所要額と原資見込みが固まると、どの原資をどの機関にどれだけ配分するかが決定される。この場合、中心を占める原資は資金運用部資金と簡易生命保険資金である。だが同時に、各機関の民間資金の調達可能性が検討され、政府保証がつく時には財政投融資計画に計上され、それがつかない時には、各機関の自己資金扱いになり、右の二つの巨額資金の配分から除外される。

財政投融資計画は、予算の大蔵原案と同時に内示される。ただし、この段階では、産業投資特別会計産業投資勘定、政府保証債・政府保証借入金については、配分が明示されるが、資金運用部資金ならびに簡易生命保険資金については「融資」として一括扱いされ、それらの配分は明示されない。

予算の復活折衝と同様に、財政投融資計画についても復活折衝が行われる。そして復活折衝を経て確定した予算が閣議に提出されるのと同時に、財政投融資計画についても閣議に提出される。この段階ではじめて「融資」としてまとめられ七いた資金運用部資金と簡易生命保険資金の配分が明らかにされる(中川雅治ほか編『財政投融資』大蔵財務協会、一九九四年)。

2014年8月22日金曜日

即発行者以外の者の民事責任

平成18年のライブドアの粉飾決算のケースでは、関係者に対して強制捜査が行われた時点で株価が急落しました。しかし、強制捜査は風説の流布・偽計取引(158条)の容疑で行われたのであり、粉飾決算の容疑が明らかになったときにはライブドアの株価はすでに下落していました。したがって、規定を形式的に当てはめると推定損害額は極めて低額になってしまいます。裁判所は、検察官が報道機関の記者に対して粉飾決算の容疑を伝えた時点で公表があったと捉えて、妥当な結論を導きました(東京地裁平成20年6月13日判決)。投資家保護を実効性のあるものにするためには、不確かな情報が流布している期間を除外して公表日前後の1ヵ月をとるなど柔軟な解釈も必要になると思われます。

有価証券報告書等に不実記載があった場合、不実記載を行った者だけでなく監視を怠った発行者の役員(取締役・監査役・執行役)にも損害賠償責任が課せられています(24条の4)。発行者の役員は、不実記載を知らず、かつ相当な注意を現実に用いたにもかかわらず知ることができなかったことを証明しない限り、責任を免れることができません。また、不実記載のある財務書類を不実記載がないものとして監査証明をした公認会計士・監査法人も、監査証明につき故意または過失がなかったことを証明しない限り、投資家に対し損害賠償責任を負担します。

荷条二発行者が倒産するなどして資力がないときはヽ役員゛監査法人らの損害賠償責任が投資家保護にとってとりわけ重要になります。役員が免責されるための「相当な注意」とはどのようなものか、監査証明について過失がなかったとはどういう場合かは重要な解釈問題ですが、これらについても参考となる判決が現れています(ライブドア事件に関する東京地裁平成21年5月21日判決)。投資家がこれらの者の責任を追及するときは、不実記載によってどれだけの損害を被ったかを立証しなければなりませんが、発行者の責任に係る損害額の推定規定(21条の2)は、これらの者の責任額を認定する際にも尊重されるべきでしょう。

有価証券報告書等の不実記載が発覚して株価が下落した場合に、不実記載の発覚前に株式を取得した投資者が発行者や発行者の役員の損害賠償責任を追及する訴訟が最近増加しており、損害賠償を認めた判決も出ています(西武鉄道事件に関する東京高裁平成21年2月21日判決など)。ただ、投資者が高値で買わされた差額部分と不実記載の発覚によって生じた市場価格の下落幅のいずれを投資者が被った損害とみるべきかとか、不実記載の発覚によって上場廃止の可能性が高まり、それを反映して株価が下落した場合に損害額をどう算定するかといった難しい問題も残されています。

課徴金制度が初めて導入された平成16年改正では、継続開示違反は課徴金の対象とされませんでした。①課徴金制度は、違反者から経済的利得を剥奪するという考え方を基礎にしており、継続開示違反については違反者の経済的利得の額が不明確である、②もし経済的利得を超える課徴金と刑事罰とを共に科すと、憲法が定める二重処罰の禁止に反するおそれがあると考えられたようです。しかし、その後、平成16年10月の西武鉄道事件をはじめとして継続開示に関する不適正な事例が相次いで発覚したこと、発行市場と比べて流通市場における取引金額が格段に多いことを考慮すると継続開示違反を抑止する必要性は発行開示違反に比べて劣るものでないことから、平成17年の改正により、継続開示違反にも課徴金を及ぼしました。

2014年7月25日金曜日

円・ドルの新しい展開

これも必ずしも順調なものではなく、一九九二年九月にはイギリスーポンドとイタリアーリラがERMから離脱し、九三年八月には原則二・二五%に設定される変動幅を一時的に一五%拡大して再調整し、九五年三月にはスペイン・ペセタの七%切下げ、ポルトガルーエスクードの三・五%の切下げなど(ペセタとエスクードは九二年、九三年にも切り下げられている)が起こっている。

九五年の通貨変動では、マルク、フラン、ポンドといった主要通貨も大きく乖離する。通貨統合も九四年には第二段階に移行してEMI(ヨーロッパ通貨機構)が設立されたが、必ずしも順調ではない。このような動きは、ドルから離れた通貨ブロックの形成になっている。後で述べるが、ドル自身もアメリカを中心とした通貨ブロック的様相をみせ始めている。為替変動の経済的攬乱からいかに回避するかに関して、もっとも強い影響を受けている日本にとって重要なポイントであり、今後、円圏の形成という問題を避げることができない状況になる。

このような状況は日本経済に大きな攬乱を与える。九三年春には日本経済はバブル崩壊不況から脱したように見えた。しかし、円高が急速に進み、一ドル=一〇〇円をうかがう。そして、日本経済はゼロ成長に戻る。一旦落着きを取り戻したように見えた円は九四年夏に一ドル=一〇〇円を切り、超円高時代への到来を印象づけた。この円高は日本企業に本質的な変革をもたらした。第五章で詳しく述べるが、生産拠点を海外へ移し、根本的な円高対応を行うことになる。

そして、一九九五年に入ると、阪神・淡路大震災など円安要因となるような事件が起こったにもかかわらず急速な円高が進み、四月一九日には一瞬、一ドル=八〇円を切ることになる。すぐに八〇円台に戻るが、多くの驚きをもって見られた。数ヵ月間に二割も切り上がるという「異常な円高」であった。

この円高はこれまでと異なった現象であった。この急速な円高に対して、日本政府は「円高対策」を表明するとともに、日銀は公定歩合を〇・七五%引き下げて一%とした。しかし、これらの効果はまったく示されず、一ドル0八〇円を切る円高を許すことになる。財政金融政策をフル出動させ、規制緩和五ヵ年計画を三ヵ年に短縮して規制緩和を推進することとなったが、これまでも効果がなかった「対策」に効果があるはずはなかった。そして、五月から八月にかけて協調介入が行われるとともに、大蔵省が資本輸出促進案を示して九〇円台後半から一〇〇円程度になり一応の落着きを見せる。

2014年7月11日金曜日

プレトン・ウッズ体制

これまでも、円高は常に「異常」と見られてきた。円高が安定するのはむしろ稀なケースであり、時にはオーバーシュートするために円安に戻るが、再び円高傾向となる。一時的な円高が「異常」であったことは何回もあった。しかし、中期的・長期的に見れば、異常と見られた円高傾向は着実に継続して、長期的に見れば「正常」な円高になった。これまでの「異常な円高」という表現は、まさに「正常」に復帰するのではないかという「願望」の反映であった。しかし、多くの人々の期待に反して「正常な円高」であることが少なくなかった。

戦後の為替レートの動きを少し振り返ってみる。前回で述べたように、戦後の日本経済の出発はドッジーライソでの一ドル九二六〇円から始まった。一九五二年にIMFに加盟して、いわゆるプレトン・ウッズ体制の固定相場制度のなかで日本経済は運営され、固定相場制度の下で経常収支赤字を発生させないように財政金融政策が総動員されてきた。プレトン・ウッズ体制では、アメリカが金一トロイオンス=三五ドルの交換比率で公的な資金についてドルの金兌換性を保障し、これを背景に各国がドルにペッグすることで金=ドル本位制として為替レートが固定化されていた。

この体制を終焉させたのは一九七一年八月のニクソン元大統領による金交換停止宣言、すなわちニクソソーショックであった。各国で為替市場が閉鎖されるなどの大混乱が起こった。そして、混乱が一応の収束を見せた同年コー月、主要国の蔵相・中央銀行総裁がアメリカのスミソニアン博物館に集まり、新しい為替レートの下での固定相場制が図られ、一ドル=三〇八円か設定される。スミソニアソーレートと呼ばれた。

しかし、このスミソニアン体制も発足の時から長続きするとは思われておらず、結局、七三年には変動相場制に移行する。この間、日本国内では円高は日本経済を潰すという円高への恐怖心から「調整インフレ論」が提起されるなど、円高回避が経済政策の最大の目標となった。ところが変動相場制に移行するとほぼ同時に石油危機が発生し、石油代金の支払いから経常収支赤字になって円安となり、その後の為替レートぱおおむね一ドル一二〇円程度の水準で推移する。

しかし、日本経済の回復とともに再び経常収支は黒字に転換し、一九七六年には円安の下で三七億ドルの黒字となった。先進各国では経常収支赤字が継続するなか、日本だけが黒字となり、非産油国の石油価格高騰による経常収支赤字の分担を要求された。七七年からぱ黒字への転換を受けて、急速に円高となる。これに対して、アメリカのカーター大統領は七八年一月、ドル防衛策を打ち出す。しかし、この時はほとんど効果がなく、介入がいかに非力であるかを世界中に印象づけた。

2014年6月26日木曜日

自然

わが国の桜と紅葉は、日本ならではの美である。もちろん、日本ならではの美は、他にもいろいろあり、また日本ならでは、でなくても、美しいものはすべていい。そう思いながら私は、この日本中を覆う桜の美しさは、秋の紅葉と共に、日本人にとって、なんとうれしい自然の恵みであることか、と思う。だが桜の咲く期間は短くて、たちまち過ぎてしまう。

毎年、桜の開花情報を聞いて、名所と言われるところに行ってみようかな、と思いながら、ぐすぐずしているうちに、散ってしまう。けれども、名所と言われるような所には行きそびれても、桜を見ない年はない。都市によっては、違いもあるだろうが、東京は、街なかにも桜が少なくない。処々方々に咲いている。上野や千鳥が淵などへわざわざ出かけて行かなければ見られない、というものではない。私の仕事場のあるあたりはビルだらけで、まるで裸の土のない所だが、そんな所でも、すぐ近くにかなり大きな桜の木が一本あって、季節を伝え、眼を楽しませてくれる。

一本だけでも、大きいので見ごたえがある。港区保護樹木と書かれた札がかかっているから、切られることはなく、毎春花を咲かせることだろう。この一本桜は、今はもうほとんど花か散り、葉が出はじめているが、この一本桜の花見なら、行きそびれることはない。今年の桜は例年より開花の時期が長いのだそうだが、それでも、東京の桜はほぽ散ってしまった。これからは、福島や仙台が見ごろになるのであろう。東京は、桜が終わると街路樹の若葉の芽のふくらみが眼につくようになる。

都心で過ごす私は、一本桜で花見をしたり、街路樹の若葉の芽のふくらみ具合を観察したりしながら、細々と自然に付き合い、季節を感じて楽しんでいる。だが、やはりそんな程度では欲求不満になる。その不満が、ゴルフ場に行くと満たされる。今年は、一本桜の花見だけでなく、先日、ゴルフに出かけて、花見もたっぷりさせてもらった。ゴルフ場には桜のみごとなところが少なくない。

2014年6月12日木曜日

貴重な回り道

底辺の活動家たちはこの論文に肯定的な評価を与えてくれた。それはこれらの活動家の声を、私が多くとり上げていたからである。しかし大学に籍を置く人たちからは、あの論文は「ドロ臭い」という、さげすんだ評価を受けた。あの時、私は大学に籍を置いていなかった。ある私立高校とデザイン学校との講師をしながら、運動をしたり翻訳をしたり物を書いていた。

あの論文を「ドロ臭いけれども新しい芽がある」と激励してくれたのは、雑誌「中央公論」の編集者をしていたH氏であった。あの小さな論文に少しでも取り柄があったとしたら、それは私が当時左翼の立場にありながら、硬直化したマルクスの理論に頼らなかったことではないか。新鮮な芽があったとすればマルクスにとらわれないで、また運動に決定的な影響力を持っていた共産党に遠慮しないで、経験的事実を語ったことではなかったか。

それだけでなく私は運動に突っ込み、底辺のドロ臭い現場を駆けずり回ったことで、大学の研究室では、絶対に学べなかった何物かを学ぶことができたと今でも信じている。その何事かとは、きれい事ではない社会の現実のなかに動いている、人間関係の原理といったものである。その何事かを学んだために、経験的世界とのかかわりを失ったドグマや、美辞麗句に迷わされない物の見方を、少しは身につけることができたのではないかと思う。

あの「思想」の論文を書いた後、私は一九六〇年の、日米安保条約反対運動に参加することになった。しかしその運動の挫折の過程で私は、左翼の運動に徹底的に愛想を尽かしてしまった。その挫折と絶望の底で私を支えてくれたものは、同じような経験をした友人たちと作った、「現代思想研究会」というグループであった。あの研究会には左翼運動に絶望した優れた友人たちが集まってきた。

そこで私はマルクス主義批判だけでなく、新しい近代化の理論などに触れた。そして新しい歴史観を徐々に構築していったのである。つまり経験の世界で挫折したため、私は抽象的な理論の世界に戻ることになった。そしてこの抽象の世界での学習を通じて、私は新しい回心を遂げることになった。それは新しい理論を獲得することによって、それまでの経験に新しい光を当てて整理し直す過程だった。私にとってその後のアメリカでの研究活は、この回心の過程を完成させることになった。

2014年5月23日金曜日

人生は思惑どおりにいかない

健康を維持するための黄金律は実は存在しない。遺伝子の問題などもからむので、本人の努力だげですべてを解決できないのもつらいところだ。やや消極的ではあるが、現代人として、健康にょいとされることを常識の範囲で実行するのがよいだろう。また、年一回の健康診断を受け、自分の健康状態を把握したい。そうすれば、成人病やガソ、心臓血管系の病気の早期発見にもつながる。

当然のことだが、人生には思惑どおりにいかないこともある。いや、むしろ、思惑どおりにいかないのが人生ともいえるだろう。若い時から好きだった山登りを、「さあ、定年後はじっくり楽しむぞ」と心待ちにしていても、足腰に故障が出れば、思う存分というわけにもいかない。そんなとき、どうやって次なる楽しみを見つけるかは、その人の人生観次第である。「ああ、足腰も弱って、おもしろいこともないし」と嘆くか、「それなら、自分の家で楽しめる趣味もあるだろう」と積極的に考えるかが、その後の生き方を決めるのだ。

健康状態にしても、積極的に成人病と取り組む人は、ひとつの病気のケアがかえって健康管理につながってよい結果を生むケースも多いものだ。健康に恵まれて老年期を迎えた人でも、できるだけ規則正しい生活を心掛け、睡眠、運動、食事のバランスを守り、ストレスに上手に対応する、といった生活が望ましいのはいうまでもないが、これは年代を問わず有効である。生活とは、このようなありふれた常識の積み重ねの結果なのだ。

こういった前向きの人生観があってこそ、社会保障の値打ちも生きてくる。逆の見方をすれば、どんなに社会保障が発達しても、社会保障だけでは解決できない問題もある、ということだ。社会保障の行方を問題にしたが、最後に残るのは、やはり私たち自身の生き方という実に平凡にして永遠のテーマである。

2014年5月3日土曜日

銀ばえは死なず

先月(十一月)背中に鈍い痛みが走って取れないので、池尻大橋の病院で診てもらったら、心筋梗塞だといわれて、即刻入院させられた。入院して、心臓カテーテル検査というのを受けた。これは、股の付け根から心臓まで、動脈内にカテーテル(細い管)を挿入して、そのカテーテルから造影剤を放出して写真を撮り、心臓の動きや、血液の流れを調べるという検査であった。

検査の翌日には院内の歩行が許可されたが、九日間入院した。その入院中に、福田幡存さんが亡くなった。私はいったん退院して、今月八日に、こんどはPTCAという治療を受けるために、再び入院した。PTCAというのは、心臓カテーテル検査と同じように、動脈の中にカテーテルを挿入するが、その先に小さな風船をつけ、その風船をふくらませて、血管の細くなっている部分を押しひろげて血液の流れをよくするという治療である。

二度目の入院は、五日間ですんだ。けれども日が重なって、福田さんの告別式に参列できなかった。福田さんは、四十年来、尊敬し、愛読し、たまにはお目にかかって話をうかがった先輩である。けれども、最近は、疎遠になっていた。年賀状だけは毎年交換していたが、今年はいただけなかった。昨年の年賀状に、福田さんは、文壇論壇、美術界すべて、もうどうしようもなくダメだ、音楽はまだ希望が持てる、音楽は科学だから、と書かれていた。そういえば福田さんは、最近、発言なさらない。物言うことがむなしくて、口を絨してしまったのだ、と思った。

しかし、福田さんが口をつぐんだのでは、この国は、ますますダメになる。戦後、進歩的文化人といわれるどうしようもない人たちが輩出したが、福田さんは彼らを斬りまくった。だからといって、彼ら流の思考が消滅したわけではない。学徒兵の戦争責任を問うシンポジウムを開いた「わたつみ会」などに、進歩的文化人思考が受けつがれているのではないか。今は、つくば市の母子殺し事件についで、中学のいじめ問題が連日テレビで騒がれている。

佐藤愛子さんは芸能レポーターを、うんこにたかる銀ばえ、と言ったそうだが、その言葉を借りると、ワイドショーのキャスター、レポーター、すべて銀ばえである。オス銀ばえ、メス銀ばえが走りまわって、刑事のように犯人を探し責め立てる。学校を責め、家庭を責め、社会を責める。悪者よ責任を感じているのか、と銀ばえは正義の権化となる。あの責め方と正義の装い、あれは進歩的文化人思考のパターンではないか。つまりは、あれが日本人好みの思考のかたちなのかもしれないな、とさえ思えてくる。

2014年4月17日木曜日

輸出依存度の上昇要因

第二次大戦によって生産設備のほとんどを壊滅させてしまい、かつまた膨大な労働人口をかかえた往時の日本が、その経済活動のよりどころをまずは繊維産業のような労働集約的で資本節約的な最終財産業に求めたのは自然であった。加えて、日本の経済成長は、第二次大戦後長きにわたって「国際収支の天井」によってさえぎられた。

この国際収支不均衡を解くことは、きわめて重要な課題であった。鉄鋼、化学、金属といった素材産業の進展は、まさにこの課題に応えようとしたものであった。こうした基礎の上に、その後の経済成長の基幹産業たる機械工業分野が花開いた。

しかも日本は、資本財から最終財にいたる諸部門をフルセットとしてかかえうるだけの、人口一億の単一にして巨大な国内市場を有してきた。また日本は、長らく極東に存在する唯一の孤立した工業国家であり、相互に水平分業をなしうる工業国を、当時は周辺にもっていなかった。ECのような水平分業を促進する地域協力機構に属するという恩恵にも浴しえず、その自給的体質をますます強化していった。自給的体質は、日本が採用してきた一連の保護主義的政策によっても促進された。

この日本の自給的経済体質を、レオンチェフによって開発されたスカイラインマップ分析を通じてみておこう。計測方法はつぎのようなものである。一国の総生産は、その最終需要を満たすために、直接・間接に必要とされる財およびサービスの生産からなる。したがって、各産業の最終需要項目別に必要とされる生産量を、産業連関表を使って計測することからこの分析ははじまる。

国内需要と輸出の合計から輸入を控除した実際の国内生産の比率いつまり自給率が明示される。各産業の生産額の規模を加重して図示したものが、スカイラインマップである。国内生産を一〇〇%ラインとし、このラインから輸出依存度を上方に向かって計る。そしてこんどは、輸出の先端から下方に向かって輸入依存度を計る。アミ部分がこれを示す。残った白ぬき部分が実際の自給的国内生産部分である。