2013年7月11日木曜日

小泉改革を後押しした米国

首相の円高懸念に対して、大統領は「なぜそんなに為替相場に関心を持つのか」と聞き返した。すかさず首相は「日本は円高のなかで構造改革を進めているが、米英の実績をみても自国通貨安のなかでの構造改革の方がうまくいく」と切り返した。その説明を大統領も理解して、「強いドル政策の継続」を表明したというのだ。「自国通貨安のなかでの構造改革の方がうまくいく」というのは、いかにも日本の財務省の振り付けめいている。が、日本の一人相撲ではなく、ブッシュ政権側にも受け入れの余地があった。例えば、ブッシュ政権の大統領補佐官(経済担当)を務めていたローレンスーリンゼーは、「構造改革と金融緩和の結果としての円安」を支持する考えを示し、四月の段階で次のように言っていた。

「不良債権処理など改革を急ぐためにも、デフレを克服する必要がある。日銀はもっと積極的に金融を緩和すべきだ。様々な金融緩和手法があろうが、かつてセントラルバンカー(FRB理事)だった私には、国債買い切りなど伝統的手法の方がしっくりする。日本国債のほか米国債、ユーロ債といった外債も購入余地があるだろう」「日本はマネーを増やして、デフレに終止符を打つことが先決。その結果、円相場がどう動くかは、問題ではない」リンゼーに筆者が話を聞いたのは〇三年四月下旬。その段階では、「なるほど」と思う程度だった。だが、クロフォードの日米首脳会談というフィルターを通してみると、合点がいく。

その当時、日本経済の構造問題の焦点となり、金融不安の根源ともなっていたのは、銀行の不良債権問題である。小泉内閣は〇三年五月十七日に、首相官邸で初の金融危機対応会議を開き、りそな銀行に対する公的資金の注入を決めている。二兆円近い公的資金を注人する一方、既存の株主責任を不問に付すことで、大手行に対する金融危機を食い止めようとした。「日銀による外債購入」というといかにも唐突だが、〇三年三月二十日に就任した福井俊彦日銀総裁による、矢継ぎ早の追加的な金融緩和と介入の関係がポイントとなる。財務省による大量介入と平仄を合わせて金融緩和に踏み切ったからだ。追加的な金融緩和によって、介入を実施するために財務省が発行する政府短期証券(FB)を、日銀が消化する形となった。

「日銀によるFB消化↓財務省による円売り介入↓外貨準備による米国債購入」というお金の流れをみれば、「日銀による事実上の外債購入」(岩田一政日銀副総裁)ともいえないことはない。リンゼーら米政権に近いエコノミストが求めた「積極的な金融緩和」と一体となった介入たったことが、米政権による暗黙の支持の背景だった。もうひとつ、構造改革といえば、その後国務副長官を経て世界銀行総裁になったロバート・ゼーリック米通商代表部(USTR)代表が、〇三年五月の日米首脳会談後に、規制緩和に向けた日本の取り組みを賞賛し、経済特区の開設を諸手をあげて歓迎したのだ。ミッキー・カンター、シャーリーンーバシェフスキー。これまでUSTR代表が日本の市場開放を褒めたことなど、聞いたことがない。それほど、小泉改革はブッシュ政権の意向に沿っていた。

こうみていくと、小泉流構造改革、金融危機防止策、追加的金融緩和と円高防止のための大量介入が、判じ物のようにつながっているのが理解できるだろう。こうした動きを受けて、米国を中心に外国人投資家が、日本株を大量に買い越しに転じたのも、○三年五月以降である。日米間の「デットーエクイティースワップ」外国勢の日本株投資は〇三年三月まで売り越し気味だったが、四月には買い越しに転じた。買越額は五月には八千億円台となり、六月から十月までの五ヵ月連続で毎月一兆円台に乗せた。〇三年度の外国勢の日本株買越額は合計十四兆千四百二十七億円と、一九九九年度の八兆五千七百五十億円を抜いてダントツで過去最高になった。

2013年7月10日水曜日

お金の流れを読む難しさ

海外からの短期資本の流入がバブルを生み、急速な資金の引き揚げがバブル崩壊と金融危機を招いた九七年のアジア通貨危機は、こうした「資本収支危機」の典型だろう。「経常収支」と「財政収支」に重点を置いたIMFによる再建策が逆効果に終わったのも、こうしたパラダイム(枠組み)の転換を見誤ったからにほかならない。プロローグで述べたギリシヤ危機も、経済の実勢以上に割高なユーロ相場に組み入れられたギリシヤは経常赤字に陥ったが、独仏など他のユーロ圏諸国からの資金流入がその分を埋め合わせ、バブルを生んだという点では、アジア通貨危機と似ている。

為替相場に与える「資本収支」の影響が高まっているのは確かだが、やっかいな点がある。日本では財務省が発表する「国際収支統計」だけを見ていても、為替相場を左右するマネーの流れが読めないのだ。日銀国際収支統計研究会によれば、問題点は三つある(日銀・前掲書)。ひとつは、国際収支統計では先物取引など、デリバティブ取引を十分には把握していない点。今やデリバティブは金融取引の主戦場になりつつある。例えば、九八年に米国の大手ヘッジファンド、ロングタームーキャピタルーマネジメント(LTCM)が破綻した直後、円相場が急騰した。引き金になったのは、先物の円売りの巻き戻しだったとされる。

二つ目は、日本からの外債投資。債券購入に伴ってドルなど外資の買い需要が生じると思われがちだが、必ずしもそうとは限らない。円高・ドル安になると保有している米国債に為替差損が生じるため、生命保険会社や信託銀行などの機関投資家は、外債購入と同時に為替の「ヘッジ売り」(先物の外貨売り)を行うことが多い。ヘッジ売りをかけている分だけ、ドルなど外貨買いとは相殺され、為替相場への影響は中立となる。銀行の場合も、外債投資は活発だが、短期の外貨を調達して外国債券の購入に充てる「外-外」型の投資がほとんど。外債投資に当たって、円・ドルの交換が起きないのだから、為替相場にはほとんど影響を及ぼさない。

三つ目は、むしろ経常収支に関する点だが、輸出業者や輸入業者の為替予約も、国際収支統計には反映されない点だ。輸出企業が輸出予約(先物の外貨売り)を急ぐと、円高が加速される。飛び立つ鳥の羽音に驚く平家のように、その円高に驚いて輸出予約の嵐が起きると、経常黒字で説明できる以上に円高が加速してしまう。九五年の超円高は、こうしてもたらされた面が大きい。これら三つの要素のどれも、為替相場の先行きの読みをめぐる、市場参加者の微妙な心理が大きな影響を及ぼす。短期的な値ザヤ稼ぎを狙うマネーの比重が高まるほど、外為市場は「情報戦」と「心理戦」の様相を深めていく。「資本収支」の重要性が増しているからといって、
単純な日米間の金利差だけで資本の流れを占おうとしても、あまりうまくいかないのはこのためである。

向こう一、二年という時間軸で「資本収支」が重要性を増しているのは分かった。しかし、ニクソンーショツク、プラザ合意、クリントン政権によるドル安容認のように、時として「経常収支」に焦点を当てたドンデン返しが来るのではないか。そんな疑問を拭い切れない読者も多いだろう。そう。数年に一度、そうしたドンデン返しが来るのである。ドルが基軸通貨であるのをいいことにした米政権のワガママ? そう言いたくもなるが、実は「資本収支」の優位が続いた後で、「経常収支」が落とし前をつける過程が、プラザ合意やクリントン政権によるドル安容認の本質である。


2013年7月9日火曜日

世界中へ広がるユーロ安の波紋

その結果、この章の冒頭で述べたように一〇年五月以降、ユーロ全体がメルトダウン(炉心溶融)しかけた。ユーロは〇八年七月には一ユーロ=一一八ドル台の最高値を付けた後、リーマンーショツク後のドル不足によるドルの反発で一・ニドル台半ばまで下がったものの、〇九年秋にかけて持ち直し一・五ドル台に上昇した。リーマンーショツクに示される米金融資本主義の限界が指摘され、ドルに代わる基軸通貨としてのドルに脚光が当たったからだが、ギリシヤに端を発した金融動乱はすべてを押し流した。

ユーロは一〇年六月初旬にはドルに対し一ユーロ=一・ニドル割れまで売り込まれた。ユーロは同じ時期に対円でも一ユーロ=一一〇円割れまで下落し、〇八年八月には一七〇円寸前の最高値を付けていたのがウソのようである。一〇年六月の時点では、「ユーロの過大評価の是正が起きている」といった指摘が、金融関係者の間で合一日葉のように交わされている。為替の変動は世の常である。とはいえ、ユーロ圏の債券・株式・銀行資産の合計額は〇八年には六兆五千億ドルと、米国の五兆六千億ドルを上回っている。ユーロ圏のGDPが米国より小さいことを考慮すれば、グローバルにみてユーロ建て資産への選好が強まっていたことがうかがえる。世界の外貨準備に占めるユーロの比率も、ユーロ発足時の一七・九%から〇八年には二六・九%となり、その間に八・六ポイントも上昇した。

ユーロという通貨制度が積み木の家だったことがハッキリしたことで、こうしたユーロの評価の流れが逆転しようとしている。ドルの基軸通貨体制が脅かされずに済むと考えれば、米国にとってほっと一息だろうが、ユーロ安が貿易に及ぼす影響をみると、人の不幸は蜜の昧とばかりは言っていられない。このままユーロ安・ドル高が加速すれば、五年間で輸出倍増を目指すオバマ政権のもくろみは外れ、外需に頼む米経済に陰りが差しかねない。むろん欧州景気が落ち込めば、米国向け以上に対欧輸出が多い中国にも響く。中国は〇八年夏以来、人民元をドルに連動させていた。ドルがユーロに対して上昇している結果、人民元もドルにつれ高し、対ユーロで上昇している。米国は中国に人民元相場の柔軟性を高め、ドルに対して上昇させるよう求めているが、欧州の金融動乱は米中間の通貨外交にも微妙な影を落とす。

不動産のバブルを抑制しようと金融の引き締めを模索する中国にとっても、欧州発の金融混乱は想定外だろう。中国は一〇年六月に人民元相場の対ドル固定を緩め、再び変動させ始めたが、今後の相場切り上げのピッチを占ううえでも、不確実な要素が増した。中国など新興国の株価が調整に転じたのも、金融、為替政策のかじ取りの難しさを映している。金融面では欧州の金融機関の海外投融資は日米を大きく上回っている。欧州勢が機能不全に陥れば、グローバルな資金の巡りも悪くなる。米銀は一兆二千億ドルの欧州向け債権を持っているが、欧州との資金のやりとりは双方向である。

米国は大手金融機関の業績が絶好調だが、その高収益は非常時対応の低金利政策という追い風があればこそ。経営姿勢に世論の批判が高まり、一〇年七月には一九三〇年代以来の抜本的改革となる金融規制改革法が成立し金融規制の動きに弾みがついている。金融界を取り巻く雲行きが怪しくなっているだけに、欧州情勢は心理的に重圧といってよい。FRBは一〇年六月の連邦公開市場委員会(FOMC)で米経済のデフレーリスクを指摘した。米国の金融緩和が長引くとみた債券市場では、十年物米国債の利回りが三%を下回る水準まで低下する一方、外為市場では金利の低くなった米国のドルが売られた。主要通貨間の「悪材料競争」となるなか、円は対ドルでIドル=八〇円台後半、対ユーロで一ユーロ=一一〇円近辺と、主要通貨に対し独歩高となっている。日本の金利は非常に低いが、米欧が低金利の仲間入りをしたことで、金利差が縮まった。金利面から円が買われやすくなったというが、何か後講釈めいている。

2013年7月8日月曜日

蕎に懲りて膳を吹いてきた日銀

そうした状況に対して、濃口雄幸首相や井上準之助蔵相の民政党内閣は、「産業の合理化」と「構造改革」を推し進め、金本位制への復帰を断行する。しかし、金との兌換比率が、円高水準に設定されたため、実質的に円高の状況を招くことになる。まさに昨今の状況と同じく、円高、デフレ、不況の泥沼に陥ったのである。国民所得が二割以上も減り、卸売物価が三割も下がるという未曾有のデフレ恐慌だった。昭和恐慌である。演口内閣の行った金本位制への復帰(金解禁と呼ばれた)は、日本経済に大きなダメージを与えただけでなく、それによる下層社会の困窮は、軍事クーデターによる軍部の台頭、さらには破滅的な戦争へと突っ走らせるきっかけをつくった。

それでも、濃口雄幸の経済政策を、国民に不人気な政策を遂行しようとしたとして評価する向きもある。人気作家の城山三郎も、「男子の本懐」を貫いて凶刃に倒れたヒーローとして扱った。さらに以前に蔵相を務めた松方正義の評価も高く、松方財政は意図的なデフレ政策によって財政を再建し、産業基盤を整え、日清日露の大戦に勝利する陰の立役者として扱われてきた。つまり、デフレという国民の痛みをともなう政策を、国の将来のために敢えて行ったのは立派だと言うのである。しかし、安達氏によると、現代のマクロ経済学の視点から当時の財政運営を評価し直すと、松方正義の前の大隈重信蔵相のときに、すでにインフレは沈静化してきており、わざわざデフレ誘導の政策を採る意味はなかったという。国民に無用の痛みを与えた部分も少なくなかったのである。

インフレで物不足が起きている状況では、国民も政府も質素倹約を実践し、総需要を減らすことが、インフレの沈静化、ひいては適度な成長の維持につながるだろう。しかし、デフレで物が余っている状況で、質素倹約を励行したりすれば、ますます貧しくなってしまうだけである。それでも、松方財政はデフレという代償を払うことで、財政を立て直したのだから、痛みの意味がそれなりにあったと言えるだろう。ところが、この十数年にわたる日本の状況は、デフレを引きずり続けた上に、財政赤字を膨らませてきたという最悪のものだった。それというのも、金融施策が財政政策と逆向きに走るといった前代未聞の政策的混乱が起きてしまったためである。

先にも見てきた通り、七〇年代のオイルショックによる「狂乱物価」に手を焼き、八〇年代の後半には、バブル(資産インフレ)を発生させたことに懲り九日銀は、インフレに対して過敏ともいえる対応をし、むしろデフレになることを歓迎した。インフレ恐怖症とでもいうべき心理状態によって、その後、経済が持ち直しかけると、またインフレやバブルが再来するのではないかとの恐れから、デフレ政策にシフトし、その結果、日本経済の体力をどんどん弱らせていったのである。

その結果、本来、日銀による金融政策で対処すべき問題に、財政政策で対処しなければならなくなり、財政赤字ばかりを増やしただけでなく、円高を招くこととなった。景気が良くなりかけると、円高がやってきて、台なしにするという愚かしい状況を、性懲りもなく繰り返した挙げ句、経済を成長軌道に戻すこともできなかった。それどころか、財政政策によって景気が上向きかけると、金融政策でその効果を撒してしまうということさえ行われたのである。判断ミスに気づいて、金融緩和を行ったときには、日本経済は消耗し、すっかりデフレ体質に取りつかれていたため、一向に本格的な回復には至らず、結局十年もデフレが続くことになってしまった。



2013年7月6日土曜日

アメリカ国債の最大の保有国

たとえば、うつ状態においては、ものごとを過度に深刻に受け止めたり、良い点は見ずに、悪い点ばかりを過大視したりする。認知療法では、そうしたネガティブな認知を見つけ出して、それが本当に現実的な妥当性をもつかを共に検討し、悲観的な受け止め方が、実は思い込みに過ぎないことに気づかせて、間違った認知のワナから脱出させるのである。確かに状況には不利な点もある。しかし、先進国で一番多くの人が自殺を遂げなければならないほど、この国の状況は悪化しているのだろうかと、改めて検討してみるのである。本当にそこまでひどいことになっているのだろうか。ダメなはずの国が、なぜ円高になるのか。たとえば、失業率5%という数字にしても、これは、失業率としては先進国の中でもっとも低いレベルのものである。日本より低いのは、スイスとノルウェー、オーストリアくらいのものである。ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどは、7~10%前後で、10%を超えた状態が続いたこともあった。国際的に見れば、失業率5%というのは、羨ましがられるほど低い水準なのである。

また、円高という問題にしても、輸出企業にはたしかに不都合だが、貧しくなっている国の通貨が高くなったりはしない。アメリカやヨーロッパよりも、日本に富があるから、通貨が強くなってしまうのだ。実際、日本の対外純資産は、二〇〇九年末の時点で、二百六十六兆二千億円余りであり(図2)、過去最高を記録している。ちなみに二位は中国で、百六十七兆七千億円余りとなっている。その後の円高ドル安ユーロ安で、円換算で目減りしたとはいえ、それでも軽く二百兆円ある。これは世界最大である。しかも、その地位は二十年も続いているのだ。日本は過去二十年にわたって、世界最大の債権国であり続けてきたのだ。対外純資産という点でいえば、日本は世界で一番金持ちの国なのである。逆に言うと、だからこそ円高になってしまうのだ。

GDPでは中国に追い抜かれたが、まだ、これまで蓄えてきた資産は莫大であり、そこからは、毎年、金利などの収益がもたらされる。その額は、およそ十二兆円。それに対して、貿易黒字は前年より倍増したものの四兆円にとどまる(二〇一〇年)。貿易黒字の一・五倍程度を、海外投資からの上がりで稼いでいるのだ。円高は輸出企業にとって、大きなデメリットをもたらすが、それは経済が強いということなのである。自国の通貨が値上がりすることは、自国の通貨が値下がりしてしまう状況に比べれば、ずっとコントロールが容易である。自国の通貨が暴落すると、それを止めることは、ほとんど不可能である。しかし、自国の通貨高は、通貨の量を増やすだけで、ブレーキをかけることができる。円の人気が高まっているということであり、誰も円に見向きもしなくなった状態とは百八十度違うのだ。

もっと危ない国の国民も、元気に暮らしているそれに対して、巨額の借金国となっているのが、アメリカやイギリスである。アメリカの対外債務の総額は、二〇一〇年中に十四兆ドル(約千二百兆円)を軽く突破する見込みで、二〇一五年には、二十兆ドル(約千七百兆円)に迫ると推定されている。対外資産から対外債務を差し引いた純債務も、二〇〇九年末で二兆七千億ドル(約二百二十兆円)を超えている。つまり、日本の対外純資産とちょうど同じくらいの借金があるのだ。それだけの借金を、アメリカは国債を発行することで賄い、それは結局、印刷したドル紙幣によって支払われる。ドルはどうしても安くならざるを得ない。

アメリカ国債の最大の保有国は、現在中国で、わずかの差で日本が続いている。それぞれ、発行残高の二割程度を保有し、両国で四割を買っている。しかし、かつて言われていたように、日本ばかりがアメリカの債務を支えているという構造は薄らいできている。ただ、円高になるとアメリカ国債などの海外資産の価値は目減りしてしまう。つまり、国富の一部をアメリカに移転させられた形になる。そのために、日本は貧しくなったということを主張する経済学者さえいたが、それもまた日本人特有の被害妄想的な悲観論に思える。豊かになる国は通貨高になり、その分、海外資産が目減りしてしまうことは致し方のないことなのだ。というのも、海外資産は、ある意味、保険のようなものだからだ。万一、自国が傾いて、通貨安になったときには、海外資産が大きく膨らむことで窮地を鸚げるからだ。