2013年7月10日水曜日

お金の流れを読む難しさ

海外からの短期資本の流入がバブルを生み、急速な資金の引き揚げがバブル崩壊と金融危機を招いた九七年のアジア通貨危機は、こうした「資本収支危機」の典型だろう。「経常収支」と「財政収支」に重点を置いたIMFによる再建策が逆効果に終わったのも、こうしたパラダイム(枠組み)の転換を見誤ったからにほかならない。プロローグで述べたギリシヤ危機も、経済の実勢以上に割高なユーロ相場に組み入れられたギリシヤは経常赤字に陥ったが、独仏など他のユーロ圏諸国からの資金流入がその分を埋め合わせ、バブルを生んだという点では、アジア通貨危機と似ている。

為替相場に与える「資本収支」の影響が高まっているのは確かだが、やっかいな点がある。日本では財務省が発表する「国際収支統計」だけを見ていても、為替相場を左右するマネーの流れが読めないのだ。日銀国際収支統計研究会によれば、問題点は三つある(日銀・前掲書)。ひとつは、国際収支統計では先物取引など、デリバティブ取引を十分には把握していない点。今やデリバティブは金融取引の主戦場になりつつある。例えば、九八年に米国の大手ヘッジファンド、ロングタームーキャピタルーマネジメント(LTCM)が破綻した直後、円相場が急騰した。引き金になったのは、先物の円売りの巻き戻しだったとされる。

二つ目は、日本からの外債投資。債券購入に伴ってドルなど外資の買い需要が生じると思われがちだが、必ずしもそうとは限らない。円高・ドル安になると保有している米国債に為替差損が生じるため、生命保険会社や信託銀行などの機関投資家は、外債購入と同時に為替の「ヘッジ売り」(先物の外貨売り)を行うことが多い。ヘッジ売りをかけている分だけ、ドルなど外貨買いとは相殺され、為替相場への影響は中立となる。銀行の場合も、外債投資は活発だが、短期の外貨を調達して外国債券の購入に充てる「外-外」型の投資がほとんど。外債投資に当たって、円・ドルの交換が起きないのだから、為替相場にはほとんど影響を及ぼさない。

三つ目は、むしろ経常収支に関する点だが、輸出業者や輸入業者の為替予約も、国際収支統計には反映されない点だ。輸出企業が輸出予約(先物の外貨売り)を急ぐと、円高が加速される。飛び立つ鳥の羽音に驚く平家のように、その円高に驚いて輸出予約の嵐が起きると、経常黒字で説明できる以上に円高が加速してしまう。九五年の超円高は、こうしてもたらされた面が大きい。これら三つの要素のどれも、為替相場の先行きの読みをめぐる、市場参加者の微妙な心理が大きな影響を及ぼす。短期的な値ザヤ稼ぎを狙うマネーの比重が高まるほど、外為市場は「情報戦」と「心理戦」の様相を深めていく。「資本収支」の重要性が増しているからといって、
単純な日米間の金利差だけで資本の流れを占おうとしても、あまりうまくいかないのはこのためである。

向こう一、二年という時間軸で「資本収支」が重要性を増しているのは分かった。しかし、ニクソンーショツク、プラザ合意、クリントン政権によるドル安容認のように、時として「経常収支」に焦点を当てたドンデン返しが来るのではないか。そんな疑問を拭い切れない読者も多いだろう。そう。数年に一度、そうしたドンデン返しが来るのである。ドルが基軸通貨であるのをいいことにした米政権のワガママ? そう言いたくもなるが、実は「資本収支」の優位が続いた後で、「経常収支」が落とし前をつける過程が、プラザ合意やクリントン政権によるドル安容認の本質である。